日本神道について
日本人の宗教観
皆さんは日常生活において「神」の存在を意識することなく生活していませんか?
皆さん自身の中で「自分は無宗教である」とか「日本人は無宗教・多宗教者である」という概念を持っておられないでしょうか。
無宗教者とは神も仏も現世には存在しないと断定している人ですが、そんな人も子供が生まれた時の「お宮参り」、「七五三」、「成人式」等または「受験の合格」「商売繁盛」「大願成就」等、願い事は神社へ参拝します。
また、結婚式は格好よく「ウェディング」をキリスト教系の教会で行い、そしてお葬式は仏式で行い、お墓はお寺にという世界中でもこんなに「宗教をファッション化」している人種は日本人だけではないでしょうか。
世界の国々では
世界の国々では「宗教」問題における戦争が今日でも続いています。
最近でも、あの忌まわしい9.11アメリカ貿易センタービルの事件も、そもそもはアラブのメッカというモハメッドの聖地である神聖な場所に、アメリカの軍隊を介入させたのが、ビンラディン氏の逆鱗に触れつまりは敬虔な信者たちを怒らせた報復として行ったのが9.11ニューヨークテロ事件なのです。
また、世界的に有名なビートルズのジョン・レノンが「俺たちはジーザスより有名だ」との記者会見での発言が誤解を生んで、ビートルズのレコードの不買運動や、メンバーのレコード、スティール写真、ポスター等、印刷物を集団で焼き払い事件等が起き、それが原因でキリスト教団からの弾圧や、イギリスの勲章受章者たちの勲章返還運動等前代未聞の事件が起きたことはあまりにも有名な話です。
世界史を紐解いても、宗教が原因で多くの戦争がおこり、沢山の血が流れています。
日本の「神」への想いの根底
これに対して、我が国は、宗教戦争という名の大きな戦いは日本史を振り返っても見受けられません。
キリスト教弾圧や社寺の焼き払い、一向宗弾圧に対する抵抗はありましたが、一国を揺るがすものではありませんでした。
それは、私が最初に申し上げたように、我々は、日常生活において「神」の存在を意識することなく生活しているからなのです。
しかし、我々の心の深い所で我々のものの考え方や行動を規定している「何か」があるのではないでしょうか。
その「何か」。
皆さんの潜在意識の底に眠っているものを呼び起こしましょう。
私は、その何かを敢えて「カミ(神)」と言います。
皆さんは、日本のカミの姿を想像できますか?
お寺で仏像が多く祀られている。これは偶像崇拝です。
キリスト教は十字架、イエスキリスト像、マリア像。これも偶像崇拝です。
これに対し神社には神像が殆ど存在していません。
いや、本来は全く存在していなかったのです。
なぜなら、日本人は偶像崇拝とは別のレベルで、姿なきカミは感知するものであり、知覚するものではない事を理解し、人間の感性の源である魂を呼応するものである事を知っているからです。
カミは森羅万象。自然は人智の及ばない大いなる存在です。
自然をコントロールすることなど、所詮、人間には不可能なのです。
それでも、自然を征服すべく戦い続けるか、それともうまく折り合いをつけ自然と友好関係を保つか・・・。
多くの日本人は後者を選びました。
なぜなら、自然は一瞬のうちに略奪の限りをつくしますが、同時に無限の恵みをあたえてくれるからです。
日本人のカミとは
そこで人は、自然のおりなす森羅万象をカミ(神)と呼び、豊穣をもたらしてくれたカミをもてなし、称えました。
また、荒ぶるカミを畏怖し、そしてそれを鎮めました。
この自然崇拝(風、水、岩、雨等)森羅万象こそがカミなのだと私は確信しています。
皆さんも、地元の神社や、また観光で訪れた神社の祭事に参加される時は、その祭事の「起源」、その神社に祀られているカミに関して興味を持って調べてみては如何でしょうか。
単に「楽しそうだから参加する」というのも日頃の生活の楽しみにはなるかと思いますが、その神社や祭事の意味を知って参加してみると、もっと楽しくすごせると思いますよ。