フォークソング概論
ご挨拶
皆様こんにちは。
㈱オフィス・アミ代表 田中健です。
私は関西学院大学在学中に音楽プロデュース会社を設立し、以降、数多くのミュージシャンのプロデュースに関わってきました。
サザンオールスターズ、荒井由実、チューリップ、吉田拓郎・・・・・。
私がイベントも含めプロデュースした方たちです。
今後は、これらの思い出や、自身が生涯をかけて取り組んでいる「映画関係」について、皆様にお伝えしていきたいと考えています。
どうかよろしくお願いします。
まずは、基礎中の基礎、フォークソング概論について語らせていただきます。
懐かしい響き「フォークソング」
「フォークソング」と云う言葉を耳にして、嬉しく、心地よく、懐かしく、感じます。
フォークソングとは、1960年初頭よりアメリカにてピート・シーガー、ボブ・ディラン、ジョーン・バエズ、PPM等らによる、公民権運動や反戦活動(ベトナム戦争)に関するメッセージ性の高いプロテストソングとして多くの若者(特に大学生)に支持され、若者の間でアコースティックギターサウンドとして、大流行しました。
この現象は、当時、日本(60年安保条約)でも支持され、特に学生の街(京都)で大学生たちによる一大ムーブメントとなり、そのパイオニア的存在が「フォーク・クルセイダーズ」(フォークの十字軍・北山おさむ、加藤和彦、端田宣彦)です。
このフォークソングは、カレッジフォークと云われ、大学生を中心にバンドを組み、願いや想いを、ゲバ棒や火炎瓶と云う武力行使ではなく、フォークギターに持ち替えて、音楽を歌詞に託して歌で主張する事です。
このカレッジフォークは、京都から端を発し、関西フォークと名前を付けることによりメッセージ性を強くして、アンダーグラウンドな音楽で一層人々の心に共鳴・共感し、各地にフォークソングの広がりをみせ全国展開をしました。
「フォークソング」から「フォークロック」へ
全国的なフォークソングブームになりましたが、プロテストソングと云う「アンダーグラウンドサウンド」が全共闘の消滅と時代の変遷により、衰退していきます。
そして、歌詞を、愛・夢・希望に変えてロック(電気楽器)を加えてフォークロックと云う新しいジャンルができ、音域を広げて「メジャーサウンド」に移行します。
フォーク・クルセイダーズ解散後・・・。
また、フォークル解散後、3人は夫々の道を歩み始めます。
北山修氏は、学校(医大)に戻り勉学の道を歩む。
加藤和彦氏は、電気楽器を使用したバンド(サディスティクミカバンド)を組む。
端田宣彦氏は、シューベルツ(おちゆうじ・杉田二郎)と云う生ギター中心のバンドを組み、「風」「さすらい人の子守唄」~クライマックス「花嫁」~エンドレス「嫁ぐ日」など、次々と大ヒット作品を生み出しました。
シューベルツは「風」でレコード大賞新人賞を獲得しメジャーサウンドブームの先駆けとなります。
これが、後に、ニューミュージックと云う新たな音楽ジャンルにまで到達します。
このシューベルツにより開拓されたメジャーサウンドが以降の音楽界をリードしていったのは皆様ご承知のとおりです。