介護施設での暮らし

両親のルーツをたどる旅1

Aさん(女性・当時81歳)は朝鮮半島(今の韓国)で生まれた。
Aさんは自分はリンゴで育ったと言う。

Aさんの両親は、昭和の初め経済不況のなか朝鮮半島に渡り、家族で荒れ地を開墾してリンゴ農園を営んでいた。
Aさんの兄は長野県でリンゴの栽培技術を学び、農園をさらに発展させていった。
しかし敗戦。
家族はすべてを置いて引揚げた。

Aさんは朝鮮半島で育ったため両親の親戚とほとんど交流がなかった。
引揚げ直後は山口県にある母の実家に世話になったが、家族は徐々に生活を再建し兄が就職した大阪へと移住し、Aさんも就職した。

Aさんは三年前に夫をがんで亡くした。
夫は自宅から車で1時間半ほどの山間部で開業医をしていた。
亡くなる数日前まで診察を続けた根っからの医者だった。
Aさんは朝早くから弁当作りを毎日欠かさず夫の仕事を支えて来た。

夫の死後、Aさんは80歳を機に無性に両親のルーツを知りたくなったという。
Aさんは両親の故郷に一度も行ったことはなかった。
Aさんには二人の子がいるが、二人とも仕事や子育てで忙しかった。
Aさんは子どもたちを気遣い、私が同行することになった。

Aさんの父親の故郷は兵庫県中部にある川沿いの田園地帯にあった。
Aさんが大切に保管していた古い住所を頼りに、車でその住所地らしい集落にたどり着いた。
ちょうど集落の入口に大きな住宅案内地図が立ててあった。
80軒くらいの住宅のなかで父と同じ姓の家を6軒見つけた。
6軒だけなら1軒ずつ当たってみようと、まずは近くの農家らしい一軒家に飛び込んだ。
お昼前の時間で在宅を期待したところ、若い奥さんが出てきてくれた。
ちょうどパートの昼休みに帰宅したところだったらしい。
私たちは手短に事情を話すと、何と若奥さんは心当たりがあるという。
昨年亡くなったこの家のお爺さんが以前、家系図を作り直していた時に、確か外国に行って分からなくなっている人がいると話していたことを思い出してくれた。

少し待っててください。

奥さんはきれいな巻物に仕上げられた大判の家系図を取り出して見せてくれた。

そこに私たちはAさんの父の両親の名前を見つけた。
そしてその子ら。
末っ子であった父の名前の横には、“朝鮮(半島)不明”と書かれていた。

今ここにAさんの父の家族がすっぽりと当てはまった。
Aさんは思わず涙が出て喜んだ。
若奥さんも驚いて涙ぐんでいた。
早くも父のルーツがつながったのだ。

集落の寺に父の先祖のお墓が残ってるかもしれない。
若奥さんは寺の住職に電話をかけ紹介してくれた。
私たちは若奥さんにお礼を言い寺に向かった。

住職はちょうど三年前、寺を改修した際に墓地も整理したそうだ。
長年無縁になっていた墓石をひとまとめにした。
その中に父の姓の墓石があった記憶があるという。
あとで調べて連絡をくれると約束してくれた。

後日Aさんに住職から連絡があった。
墓石を見つけることはできなかったが寺の記録には残されていて、処分されておらず集められた墓石の中にあるそうだ。

Aさんは父親の故郷に来て、偶然にも父の一族の人と出会い、彼らが大切にしていた家系図によってルーツが確かなものとなった。
そしてAさんの先祖のお墓のことも分かりとても満足した様子だった。

絵に描いたような田舎の田園風景には、トンボが飛び交い、秋の気配がする頃であった。
帰りに住職が薦めてくれた名物の栗まんじゅうを買って帰った。
Aさん、次は母親の故郷を訪ねよう。

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この記事を書いたコラムニスト

高嶋康伸 (タカシマヤスノブ)

ソーシャルワーク・アドベンチャー 代表 ホームソーシャルワーカー

1969年生まれ。1991年 そごう(現そごう・西武)入社。百貨店外商の経験から高齢者や障害者の生活ニーズに行き届かない社会システムに疑問を感じ、社会福祉に関心を持ち始めた。2000年 特別養護老人ホームに転職。2002年 高齢者と障害者の外出・生活支援事業を起業。2003年 社会福祉士登録。ホームソーシャルワーカーは、かかりつけ医の社会福祉士版。元気なうちから生涯にわたり、秘書や執事のように生活全般にわたるサポートをおこなう。いつまでもその人らしく元気に生きてもらえるよう、特に旅行や外食など楽しみ、希望実現の支援を得意としている。認定社会福祉士。

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