介護施設での暮らし

介護のチカラ

長年ひとりで生きてきた

グループホームで暮らすTさん(女性・96歳)は、一人娘が生まれて間もなく離婚した。
娘さんとの関係は悪く、娘さんは20歳過ぎで結婚し、以来長く絶縁状態のままずっと一人で暮らしてきた。

Tさんは若い時、大手旅行会社に勤務しツアーガイドや宴会進行の経験から、人を和ませるのが上手く近所やデイサービスでも人気者であった。
85歳を過ぎた頃から、難聴がひどく足腰が弱くなり、歩行器を使って買い物や散歩に出かけた先で転倒することが何度かあった。
この頃、私は地域包括支援センターの紹介でTさんと任意後見契約を締結し、Tさんとのお付き合いが始まった。

アパート暮らしからケアハウス~

Tさんは、認知症はなく、度重なる転倒で幸い骨折など大事に至ることはなかったものの、地域の人たちの説得でケアハウスに入居することになった。
しかしこのケアハウスでは、転倒の恐れがあるTさんが、一人で外出することを認めてくれなかった。
それでも出掛けようとするTさんは、職員の言うことを聞かないので安全を保証できないと退居を迫られ、とうとう別のケアハウスへ移ることになった。

二つ目のケアハウスは、職員たちの懐は深くTさんの自由奔放を受け入れてくれた。
こちらへ越してからもやはりTさんは、外出先で何度か転倒し周囲の人たちに助けてもらった。

ケアハウスではTさんは相変わらず愉快な言動で職員や入居者たちを楽しませた。

突然、言葉が話せなくなった

ある日、ケアハウスの自室で転倒し、頭部を強打して病院に緊急搬送された。
外傷性の硬膜下水腫と診断された。
入院先でTさんは、言葉がスムーズに出てこない。
あーーー、うーーー、と唸るような長ーーーいウォーミングアップの末に、突如ふつうに言葉が発せられる。
水腫が脳を圧迫し、言いたいことが上手く言葉にできない。
医師は、脳を圧迫している水は徐々に抜けていくので、言葉はそのうち元どおりになるだろうと言った。

入院中のTさんは、転倒しないように自由に歩かせてもらえなかったおかげで、歩行力がすっかり衰えてしまった。
移動に車椅子が欠かせなくなったので、元いたケアハウスに戻ることができず、次は介護付き有料老人ホームでお世話になることになった。
しかし、退院後いつまで経っても言葉が回復しない。
重度の難聴に加え発語がスムーズにできないので、ケアスタッフと意思疎通が難しく、ホームではすっかり認知症患者の対応を受けるようになった。

Tさんは自分の意思をなかなか理解してもらえないストレスが溜まり、どんどん元気がなくなってきた。
ついに介護付き有料老人ホームの生活を断念し、今のグループホームにたどり着いた。
少人数で家庭的な関わりを持ってくれるグループホームは、Tさんにとって良かったのかも知れない。
少なくとも今までで一番いい環境の施設だと思った。

気さくで親切なケアスタッフに支えられ、Tさんはのびのび暮らすことができ、ここでも皆を楽しませる人気者となった。
聞こえなくて話せなくても、じーっと皆を観察し、時々出て来るTさんの発言は、スタッフがびっくりするほど的を射たもので、スタッフもTさんの観察力を頼りにしていた。

介護の力

入居して4年後、Tさんはグループホームで流行ったインフルエンザにかかり、肺炎をこじらせて病院に緊急搬送された。
肺炎の治療と、理学療法士や言語聴覚士によるリハビリの甲斐なく、病院の医師は私に、Tさんは食事を自力摂取するのは難しく、これ以上の回復見込みはない。
穏やかに最期を迎えてもらうために介護療養型病院に移したいと説明した。

紹介された療養型病院は、いずれも遠方でTさんの関係者にとって訪れにくい所にある。
Tさんの状態から転院先のスタッフと馴染みの関係が期待できるわけでもない。
そんな寂しい最期は可愛そうだと、私はダメもとで、看取りの対応はできないと言われていた元のグループホームに掛け合った。
スタッフたちは協議の末、これまで看取りの経験がないにも関わらず私の要請を引き受けてくれた。
幾人かのスタッフは、Tさんはこの4年間一緒に過ごした家族のような存在で、是非とも最期まで看てあげたいと熱く気持ちを打ち明けてくれた。
私はとても嬉しくて感謝の気持ちでいっぱいになった。

こうしてTさんは元いたグループホームに帰ることができた。
スタッフたちは、連日、根気よく食事介助を試み、こまめにオムツを替え、声掛けを重ね、誠心誠意Tさんに寄り添ってくれた。

数日後、驚くことに、Tさんは食事が摂れるようになったと連絡があった。
スタッフたちの尽力がTさんの生きる力を動かしたようだ。
顔の表情がキリッと引き締まり、Tさんらしさが戻って来た。
相変わらず発語ははっきりしないが、Tさんの表情からすると馴染みのスタッフたちとの意思疎通がしっかり取れているような気がした。

医療者が手を尽くした末での看取りであったはずが、このグループホームのスタッフたちはTさんを回復させた。
まさに介護の力を見せつけられた出来事だった。

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この記事を書いたコラムニスト

高嶋康伸 (タカシマヤスノブ)

ソーシャルワーク・アドベンチャー 代表 ホームソーシャルワーカー

1969年生まれ。1991年 そごう(現そごう・西武)入社。百貨店外商の経験から高齢者や障害者の生活ニーズに行き届かない社会システムに疑問を感じ、社会福祉に関心を持ち始めた。2000年 特別養護老人ホームに転職。2002年 高齢者と障害者の外出・生活支援事業を起業。2003年 社会福祉士登録。ホームソーシャルワーカーは、かかりつけ医の社会福祉士版。元気なうちから生涯にわたり、秘書や執事のように生活全般にわたるサポートをおこなう。いつまでもその人らしく元気に生きてもらえるよう、特に旅行や外食など楽しみ、希望実現の支援を得意としている。認定社会福祉士。

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