介護以外について

現代の「神社」の定義~神社とは何か~①

何をもって”神社”とするのか?

「神社ってどういうものですか?」と改めて聞かれた場合、あなたは何と答えますか?
多くの人は、今まではっきりと意識して考えたことはないでしょうから、だいたいの感覚で、「神様が祭られている所で、社殿があって、鳥居があって、鎮守の森があって、、、、、、」という認識ではないでしょうか?

広辞苑で「神社」をひいてみると、「神道の神を祀るところ。一般には社殿と付属の施設から成る。やしろ。おみや。もり。」とあります。

これを見ると一般の人の認識とそう違いの無いことがわかります。

宗教法人法の下の神社

第二次世界大戦に敗戦する以前、神社は宗教ではなく国家の宗祠、ということで国家管理されていました。
基本的には国家が神社と認めたものだけが神社となっていました。

第二次世界大戦後は宗教法人法のもとで神社も宗教法人となりました。
伊勢神宮も登記名は「宗教法人神宮」ですし、皆様の近くにある〇〇神社も、おそらくは登記上は「宗教法人〇〇神社」となっているでしょう。

ただ、宗教法人〇〇神社と登記されているものだけが神社というわけではなく、一部に宗教法人化されていない神社もあります。
個人が所有していたり、何らかの組織が共同で所有していたり、邸内社や企業のお社もそのうちに入ります。

神社習合時代の神社

最近はスピリチュアル、パワースポットブームの影響でしょうか、神道、神社への関心が高まり、若い人で神社巡りをされている方がかなり増えてきました。御朱印ガールなんて言葉も流行りましたね。

神社は好きだけど、お寺はあまり好きでないので巡る対象には入れなていないという方も多くいらっしゃるのでは?
考えなければならないのは、現在のように神社と寺院とをすっぱり分けたのは、明治の神仏分離からで、それ以前は神仏習合体制のところが多かったということです。

京都市左京区に「赤山禅院」というお寺があります。
写真を見て頂ければわかりますが、驚くべきことにまず参道に立派な鳥居があります。
社殿はお寺と神社の合わせたような感じですし、境内摂社には神道式のお社もあります。
神仏分離した神社しか見たことがない私達には非常に不思議な感じがするお寺です。

今皆様が知っている大きな神社でも、江戸時代までにはこのような神仏習合のスタイルだったところも多かったわけです。
結局、明治の神仏分離で神社を選ぶか寺院を選ぶか、ということで分かれました。
神社と寺院の区別があまりなかった時代も長かったようです。

神仏習合時代には神社の中に寺院、寺院の中に神社があるのは珍しくありませんでした。
これも明治の神仏分離の際に、なくすか、あるいは分離して寺院、神社で独立する、というところが多かったようですが、境内にお社を残した寺院もあります。

神社は時代時代の権力や思想によって色々とカタチを変えてきていることをご理解いただけたのではないでしょうか。神仏習合から国家の宗祠、そして宗教法人へ。

次回は続きとして、「新興宗教の神社」、「神道教会」についてご説明していきます。

この記事へのコメント

下記入力欄より、この記事へのご意見・ご感想をお寄せください。
皆さまから頂いたコメント・フィードバックは今後の内容充実のために活用させていただきます。
※ご返答を約束するものではございません。

この記事を書いたコラムニスト

田中健(田中神社正禰宜) (たなかけん)

田中神社正禰宜

関西学院大学卒業
若干19歳で映画と音楽のコラボ鑑賞団体を立ち上げ、会員数を2千人に増やす。
21歳でそれを母体に、制作プロダクション「アミ音楽工房」を設立、代表取締役に就任。
サザンオールスターズ、チューリップ、荒井由実等多数の有名アーティストのステージ制作・興行・学園祭のプロデュースを手掛ける。
「音楽」「映画」「イベント」の実績から京都造形芸術大学客員教授、鹿島学園高等学校メディア担当、ハワイ国際大学心理学教授等幅広く教職にも就く。   
先の阪神・淡路大震災では会社と自宅がが全壊となり、その直後より「阪神・淡路大震災復興協会」を立ち上げ、ボランティア活動をライフワークとされておられます。
震災直後に神職の資格を取られ、越木岩神社奉職後、北野天満神社権禰宜等を勤めた後、現、田中神社正禰宜として奉職中。
「神に仕えるプロデューサー」として神社界でも活躍中。

掲載PR一覧

  • 老人ホーム入居相談窓口