介護施設での暮らし

目の前で中学の校舎が倒壊しました

秋の味覚を楽しんだ昔の子どもたち

ハギ・ススキ・クズ・フジバカマ・オミナエシ・オバナ(ススキ)・ナデシコの秋の七草が、野原を彩る季節になりました。昭和の子どもたちは、涼しくなった外で日が暮れるまで遊び、柿や栗などを家に持ち帰り、秋の味覚を楽しみました。
秋の味覚の王様と言えばキノコ。しいたけ、しめじ、まつたけなど、昔の農村ではキノコは買うものではなく、山で収穫するものでした。どの村にもキノコ採り名人がいて、子どものころ一緒にキノコ採りに行った思い出をお持ちの高齢者も多いのではないでしょうか。
秋の名物として、ありがたくないのが台風。2018年は西日本豪雨による大水害、台風21号による停電や関空のストップ、震度7とされる北海道の地震など、次々と自然災害に見舞われました。
 

今も昔もおそろしい台風

大正13年生まれ、大阪出身の男性にお聞きした話です。

昭和9年の室戸台風が印象深いなあ。大阪もずいぶんやられました。
台風は朝に来たんだけど、雨の中を学校へ行きました。信号が使えなくて巡査が出て整理していました。
1・2年生は古い木造校舎だったんで、風と雨がひどくなってきたときに、先生が生徒たちを鉄筋の方へ避難させました。講堂の建っているところだけが鉄筋校舎だったんです。
避難した後、2階建ての木造校舎が全壊しました。倒れるのを鉄筋の校舎の上から見ていました。壁土がざーっと舞い上がって、それはすごかった。雨も降っていましたけど、とにかく風が強かった。風速60メートルといわれていますが、それ以上観測できるところがなかった。ホントはそれ以上のものすごい風だったと思います。
わたしたちの学校では、幸い先生方の避難誘導が早くて、けが人はなかったけれど、死傷者もたくさん出たそうですよ。その日は授業どころじゃないけど、台風が通り過ぎるまでは帰れずに、学校にいました。風が治まってから同じ方向のものが集まって、一緒に帰りました。
 

台風が去ったあと、たくましく再興した人々

学校が倒れた後は、業者が来て片付けたそうですが、木造校舎の跡地に、新しく鉄筋の校舎が建つまでに、ずいぶんかかったとか。その間、学校は2交代制。朝からと午後からというように、時間を替えて授業をしていたのだそうです。考えてみると、先生方も大変だったでしょうね。
今では警報が出ると学校は休みになりますが、台風が来ているのに学校に行ったというところに驚きました。しかも、目の前で自分たちの学んでいた校舎が崩れ落ちるように倒れた。いくつになっても忘れられないできごとだと思います。
ひと昔前までは台風予報が出されると、雨戸を閉め、ガラス窓には板を打ち付け、懐中電灯やろうそくを用意して停電に備えたそうです。度重なる自然災害に、私たちも備えを厳重にしなければならないと痛感しました。
 

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この記事を書いたコラムニスト

昭和の思い出つむぎ隊 (ショウワノオモイデツムギタイ)

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