鬼門
鬼門の意味
鬼門は古代中国の「山海教」にある物語が、北西(乾)の方角を「天門」、南西(坤、ひつじさる)の方角を「人門」、南東(巽)を「風門」、北東(艮、うしとら)の方角を「鬼門」としたことから始まっています。
陰陽道では、鬼が出入りする方角として、万事に忌むべき方角となっています。
鬼門とは反対の南西(坤)の方角を裏鬼門と言い、この方角も忌み嫌われています。
忌み嫌われる理由として、陰陽道において、北と西は陰、東と南は陽とされ、北東と南西は陰陽の境になるので不安定になるためであると言われています。
しかし鬼門は忌み嫌われる以外に、神々が通り抜ける方角、太陽が生まれる方位(生門)であるため、清浄の気を保たなければならぬという考えもあります。
なぜこの方角が「鬼門」なのか
中国でこの方向が鬼門と言われているのは、北東の方向から季節風が吹くため、家の中心から見てこの方向に水回りのものを置くと、家の中が不衛生になるという簡単な話という説もあります。
また山海経に、「東海の中に度朔山がある。頂きに大きな桃ノ木があって、3000里にも渡って渦を巻くように曲がりくねっており、その枝の間の東北を鬼門といい、多くの鬼の出入口となっている。頂には2人の神がいて、ひとりを神茶、ひとりを鬱櫐といい、悪鬼を調べ取り締まる役目を負っている。害をもたらす鬼を葦の縄で捕らえて虎に食わせる。このことをもとに黄帝は礼の決まりを作り、時々これを払い、桃ノ木で作った大きな人形を門戸に立て、門に神茶と鬱櫐そして虎を描いて葦の縄をかけ、凶悪なも物の精鬼を防いだ」と書かれていおりこの話が日本に伝わり「鬼門」方位となったという説もあります。
他にも、紀元前2世紀頃に中国で書かれた「神異経」という書物に、「東北に鬼星の石室が300戸あっが、門は共有して一つだった。これを鬼門という。」ということで北東を鬼門という説もあります。
日本ではまだまだ鬼門まだまだの考えが残っている
鬼門は中国から伝来した考えであるにもかかわらず、現在では日本(沖縄を除く)のみで忌み嫌われている方位観だそうで、中国で風水では住宅において北東方位は恐れられていません。
日本では、伝来以降、「鬼門」の方向への造作、わたまし(貴人の引越)は忌むべきこととされていますし、家の鬼門の方角に桃ノ木を植えたり、鬼門とは反対の方向が申であるひとから、猿の像を鬼門避けとして祭ったりしています。
京都御所の北東角には屋根裏に木彫りの猿が鎮座し、鬼門を封じています。
現在でも、家の中央から見て鬼門にあたる法覚には、便所・風呂などの水を扱う場所を置くことを忌む風習が残っています。
都市計画においても、平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山が、裏鬼門の方向に石清水八幡宮が置かれてしますし、江戸城から鬼門の方向に東叡山寛永寺、裏鬼門の方向に増上寺が置かれています。
鬼門は本来呪術的な意味を持つ言葉ですが、転じて「良くない結果がおこりやすい事柄」に対して用いられるようになっています。
方角に限らず、場所、時間帯や特定の教科などを指すこともあり、その用途は幅広いものです。