医療と薬について

もし、がんだと言われたら

がん診療連携拠点病院へ

検診をうけた婦人科病院では、先生に「良く自分で見つけたね。偉かったな~」なんてほめて頂き、なんだかそれがとても嬉しかったことを覚えています。
怖いだけでなく、「あぁ見つけてよかったんだ」と思いました。
 
私ががん告知を受けたのは、検診を受けた産婦人科病院から、その後紹介された地域の病院でした。
今は、がん診療連携拠点病院と言って、専門的ながん医療の提供、地域のがん診療の連携協力体制の整備、患者・住民への相談支援や情報提供などの役割を担う病院として、国が定める指定要件を踏まえて都道府県知事が推薦した者について、厚生労働大臣が抵当と認め、指定した病院のことで、各都道府県で中心的役割を果たす「都道府県がん資料連携拠点病院」と「地域がん診療拠点病院」があります。
私が治療を受けたのは、「地域がん診療拠点病院」になります。

エコー検査

紹介状をもって、この病院の乳腺専門医のところへ。
改めて、ここでもまたエコー(超音波)検査を受けました。
そして、がんかどうかを確定する「生検」をする前に、
「おそらく間違いなく乳がんだろう」と言われました。
専門医には、エコーの画像でわかるんだなぁと思いました。
そして、「もしこれが乳がんでなかったとしても、数年後にがんに変わる前がん病変と思われるので、ずっと経過観察をしなければいけない」と言われました。
その説明を不思議と冷静に聞いていたように思います。
違っていてほしいという気持ちもあったと思いますが、どこかで「これは乳がんだ」と覚悟していたようにも思います。
 
それから、「センチネルリンパ節生検」と言って、乳がんが最初に転移すると言われる、腋窩(腋の下)にあるリンパ節を調べる生検手術の為に入院してもらう、ということになりました。(このリンパ節に転移がなければ、腋窩(腋の下)のリンパ節廓清(根こそぎ取る)は、省略されます。)
生検手術ですが、全身麻酔なので、手術前の検査を受けて帰ってほしいと言われ、一日中、マンモグラフィ、胸部レントゲン、造影剤を入れてのCT、MRI、血液検査、肺機能検査、そしてがんかどうかの確定診断を行うための、針生検含め様々な検査を受けました。(今センチネルリンパ節生検は、手術の時に一緒に行ってるかと思います。)

カミングアウト

そして、この日の生検の1週間後にもう一度結果を聞きに来てくださいと言われました。
この日は、実母が付き添いで来てくれましたが、朝から19時前まで、お昼ご飯も食べず、確かペットボトルのお茶1本で付き合ってくれたような気がします。
帰りの車の中で、「変わってやりたい」と言ってくれたことを思い出します。
当時父も病気を抱え、父の看病と私のことまで加わって、母には心配もかけましたし、随分助けてもらいました。
 
前回も書きましたが、主人が単身赴任中で、息子は中三の受験生、娘は小学六年。
私は仕事をしていたので、いろんなことが頭の中をぐるぐる回りました。
夫がいない状態でもあったし、両親に心配をかけたくない気持ちで、
「親と子供の前では絶対に泣かない」といつの間にか決めていました。
 
だから、車の中で母にそんな言葉を言われても、大丈夫よとだけ、言ったように思います。
ただ、自宅マンションに戻って、友達に「どうだった?」と聞かれ、
「たぶん、間違いなく乳がんだわ・・・」と話したとたんに、彼女の家の玄関先で大泣きし、その友達も一緒に泣いてくれました。今もあの頃も一緒に子育てをし、いつも支えてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。
昭和の長屋のようなマンションで、互いに助け合いながら、本当に有難い付き合いが長い間続いています。
 
主人には、電話で「乳がんかも」と伝え、戻ってきた時に、思い切り泣かせてもらいました。
言葉は何もなかったようにも、「大丈夫」と言われたようにも、思いますが、実は覚えていません。
ただ黙って、ずっと背中を撫でてくれていました。
それしか出来なかったのだと思います。
 
告知は主人と一緒に医師から受けました。
【クラスⅤ 乳がんに間違いありません。】

これからの治療の選択をどうするか?

私の乳がんは、左乳頭の真下に2.5㎝あり、あまりタチのよいタイプのがんではない、という説明を受けました。
確か後で知ったのですが、トリプルネガティブという少々やっかいながんだということでした。
 
そして術前化学療法(手術の前に抗がん剤治療をして、がんを小さくする)を「臨床試験でどうか?」という提案を受けました。
「標準治療」でもいい、と言われましたが、「標準治療」もわからなければ、「臨床試験」もわかりません。
何が何だか分からず、手術の前に抗がん剤治療?それでいいの?どうしたらいいの?
現在は、「がん相談支援センター」「がん看護専門看護師」「乳がん看護認定看護師」など、
相談する人や窓口がありますが、当時はそのようなものもなく、手渡された書類を読むくらいでした。
説明を受けても、何が何だか分かりませんでした。
 
①臨床試験で術前化学療法を受ける。
②小さくなれば、温存(部分切除)出来るかも知れない。
③もし小さくならなかったら、全摘出手術になるけれど、うちには形成外科があり、
乳房再建も可能。(当時は、保険適用ではなかったので、自費)
④標準治療をしても構わない。
 
そんな選択肢を出されたように思います。
でも、何をどう決めたらいいのか?当時の私には、全く分かりませんでした。
 
効果がありそうだと言われる、臨床試験に参加しよう、と「なんとなく」決めてしまったように思います。
「いい」とか「悪い」とか、全く分からなかったというのが正直な気持ちだったと思います。

「整理する人」

今、学生の友人が乳がんになり、毎日のように相談に乗っていて、思うことがあります。
ずっともう10年以上私は患者サポートを行っているわけですが、
今も私が乳がんになった当時と変わらず、突然のがん宣告から、説明を受け、
聞いたことのない「医療用語」や「医師の言葉」を必死で聞くけれど、
何も理解できず、そして、何を知っていたらいいのか、何がわからないのかがわからず。
 
なのに、「治療の選択」を迫られる。
その「検査」も初めてで、不安で怖くて仕方ない。
私の友人は、私のことを知っているから遠慮なく、
全力で私に質問を投げかけ、小さな不安や疑問も解消しようと必死です。
初めて私のところへ相談に来る方は、みんな遠慮して、聞いて来られるんだと改めて感じました。
 
例えば、造影剤を入れてCT検査を受ける時、体が熱くなります。
特に股間が・・・「漏らした?」と思うくらい、熱くなってちょっと驚きます(笑)
でも、こんなことも知りませんよね。
「リンパ節転移」と言われても、「リンパ節って何?どこ?」って感じです。
病期(ステージといわれます)も0~4まであるわけですが、そんなこと知ってますか?
医療に全く縁がなかった人がこんなことを知らないのは、普通のことですが、
医療者の「知っていて当たり前」は、患者や家族の当たり前とは違います。
私からすると「知らなくて当然」なのです。
 
医療者と患者や家族の間には、誰か「整理する人」が必要だと痛感しています。
だから、私たちの活動が必要なのだと。

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この記事を書いたコラムニスト

蓮尾 久美 (ハスオ クミ)

一般社団法人らふ 代表理事

2005年42歳の時に、乳がんに罹患。トリプルネガティブという少しやっかいな乳がんで、術前の化学療法(抗がん剤治療)を受けるも効果が見られず、左乳房全摘出。病理結果を踏まえ、術後もさらに抗がん剤治療を受ける。当時まだ保険適用外であった「人工乳房」での再建を受け、現在まで無治療。2007年りんくう総合医療センターで乳がん患者会を設立(2015年まで)運営したが、もっと気軽に随時少人数で悩みを話せる場が必要ではないか?と2013年~泉佐野市で自宅マンションを「がん患者サポート&コミュニティサロン」として開放し、少人数で患者同士の茶話会、個別相談を実施。その後、2015年「必要な時に」「必要な人に」「必要な情報を」患者目線で届けたい、また、患者や家族だけでなく、医療や介護を提供する側の悩みや思いを語る場も設け、交流の場としても提供しようと、看護師、介護アドバイザーと共に一般社団法人らふを設立。医療の受け手である患者や家族、市民と、医療や介護を提供する側双方が「生きること」「死ぬこと」「老いること」を学び、語り、相互理解を深め、温かな地域を作ることが日本の社会保障制度を守ることにつながるのではないか?と考え、市民目線で、がんになっても介護が必要になっても、自分らしく幸せに暮らせる地域にしたいと自宅サロンを中心に様々な活動をしています。

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