アミ音楽工房からオフィスアミへ
「スターを続々発掘」
フォーク歌手の一流どころをプロデュースするのではなく、売れる前から舞台に上げ、売っていく、不思議とみんなあたる。それが楽しかったです。
キャロルやサザンオールスターズなんかはまさにそうでした。
東京からデモテープが送られてくる。それを聞いて「自分はこいつをプロデュースする。」と決めるのです。
アミ音楽工房のみんなで意見交換し、それぞれが分かれて自身の勘で勝負。切磋琢磨してアミ音楽工房を育てていきました。
かぐや姫、キャロル、風、荒井由実、中島みゆき、アリス、サザンオールスターズ。今では皆さんが知っているビッグネームを無名の時代からスポットを当て、関西エリアのプロデューサーとして育ててきました。
「スター発掘だけではなく自前での育成も」
当時はフォーク界の2大プロの一つ、ユイ音楽工房社長と懇意にしてもらっていたため、東京から関西にアーティストが送られてくるんですが、神戸や大阪はアンチ東京意識が強いため、前座も含めパッケージで送ってくるのではなく“タレントを裸でよこし”と言い、全部こちらで仕切っていました。
ただ、東京から送られてきたアーティストをただプロデュースするのではなく、「プロ」+「アマチュア」という視点でイベントを実施し、自社でもパンドを抱え、育てる活動も行いました。
タレントがうたかたのように浮いては消える世界で、「単なる興業屋で終わりたくない。新人を発掘して育てるプロデューサーとなっていきたい。“関西フォーク”で音楽の流れを変えていきたい」という意気込みで事業に取り組んでいました。
「オフィスアミとして東京へ進出。」
ただ、やはり音楽の世界は東京が中心。
関西フォークを世に出すためにも、東京に進出することが必要ということでオフィスアミとして東京に進出しました。
東京では、これまでのコネクシヨンを活用し色々な成果を出しましたが、結局、家庭の事情と“映画”への情熱もあり、関西に戻ることになり、音楽からは離れることになってしまいました。