MFL(Movie&Fork in Luna)の立上げから始まって
「もう一度関西フォークに盛り上がりを」
私が、関西学院の学生時代に仲間と音楽プロダクション「アミ音楽工房」をそんな思いで立ち上げました。
私が高校生の時には、関西フォークが真っ盛りの時代でした。
学生の街、京都に住む大学生から始まった関西フォークは一大ムーブメントとなり、神戸で赤い鳥、ハイファイセットのメンバー、谷村新司等が参加していた「ポートジュベリー」、大阪で5つの赤い風船のメンバー、上田正樹等が参加していた「シティージュベリー」、東京で森山良子や五輪真弓らが参加していた「スチューデントクラブ」等が生まれ活発に活動していました。
しかし、それらの団体の主なメンバーが卒業し、独立していくと、そんな機運は萎んでいきました。
「MFLの立上げ」から学生起業へ
そんな中、私は関西フォーク連盟を母体に、「アミ音楽工房」の母体となるMFL(Movie&Fork in Luna)を立上げ、学生仲間とともに芦屋ルナホールで「映画の好きな人にフォークを」、「フォークの好きな人に映画を」をコンセプトに定期的なイベントを始める活動を開始しました。
自身もフォークグループでギターをやっていましたが、限界を知ってコンサートなどの企画、運営をする裏方、プロデュース業に取組んでいきました。
父が映画館を経営してきたこともあり、映画への思い入れも大きく、映画とフォークを組み合わせたイベントを始めようと考えたのです。
「良い映画」そして「良い音楽」をひとりでも多くの人に感じて欲しい。映画は何かを訴え考えさせてくれるものを、音楽はフォークを中心に実力も兼ね備えているものを提供することにしました。
「第1回目は「いちご白書」と「谷村新司」」
第1回のMLFで上映した映画が「いちご白書」、フォークが谷村新司、堀内孝雄、四方よしろうという豪華なメンバー。1971年12月2日に実施しました。
第2回目に上映した映画が「ソルジャーブルー」、フォーク公演に参加した団体が「アリス」(当時は谷村新司と堀内孝雄のグループ)、スケッチブック、ワンマンバンド。1972年9月2日に実施しました。
第3回(1973年4月)を終えた時に、当時のナショナルから、神戸ナショナルショールームホールでの「サタデーコンサート」の実施依頼も舞い込み、毎月土曜日の定期コンサートも実施。
結局、MLFは6回まで、サタデーコンサートは1974年まで1年間続きました。
併せて、学園祭のプロデュースも実施。神戸大学、神戸商船大学、関西学院大学、甲南女子大学、近畿大学、奈良大学、神戸女子大学、大阪産業大学様々な大学でプロデュースを実施。
それらの活動の中で、シモンズ、猫、キャロル、五輪真弓、リリー、南こうせつとかぐや姫、吉田拓郎、ジョニー大倉、チューリップ、サザンオールスターズ、荒井由実、風等様々なアーティストのプロデュースを行っていくことになります。