写真と私
写真と私
私と写真の出会いは、小学3年生の付録の”日光写真”でした。
その後コンパクトカメラで家族や友人を撮っていましたが、当時はプリント代が高く、撮りすぎてよく親に叱られたものです。
社会人になり、立山連峰などの日本アルプス、尾瀬、丹沢山系などで高山植物、ご来迎、風景を撮り始めました。
最近では、野鳥や孫の写真が増えています。
「真摯に向き合う」こと
写真の対象には、人物、花、風景、寺社仏閣などがありますが、「広島」「古寺を訪れて」などで有名な写真家の巨匠「土門拳」のように「対象に真摯に向き合う」ことは、なかなかできません。
彼の言う「真摯に」とは、例えば信楽焼の壺を撮影する際に、その風土から土の鉱石、陶工たちの歴史などを書物や人の話や窯跡などを執念で調べた後、初めてファインダーをのぞくということです。
私は、そこまで考えずに、撮れればよいと考えることがしばしばでした。
「真摯に向き合う」ことで写真を見る人に何を感じてもらおうとしているのか、自分は何を訴えようとしているのか、考えれば考えるほど何とも悩ましいものです。
写真は、最終的には、”自己満足”の結果であると思いますが、写真を見た人に「美しい」「印象的」などと感じていただくことがさらに重いのでは考え始めました。
写真を撮る日々の中で
”自己満足”と書きましたが、そのまま時間経過すれば、写真の進歩がなくなるのではと思います。
もう何年も前になりますが、「一度展覧会に出品して評価をもらったら」とある人に言われ、おかげで4回連続入賞し自信となり、モチベーションアップにつながりました。
その結果、自分なりに写真にもう一度向き合いました。
例えば、野鳥の写真を撮る際に考えていることを書いてみます。
野鳥の写真は、ついつい図鑑的なものになりがちです。
私も、動きが激しい対象物であるため、最初はまず撮ることに必死でであり、考える暇もなくシャッターを押してしまっていました。
今日この頃は、野鳥の「かわいさ」「あどけなさ」「いとおしさ」などをどのように撮れば、感じていただけるのか、何度も考える日々が続いています。