高齢者の病気・疾患

もし、がんだと言われたら・・・

はじめまして。

はじめまして。私は一般社団法人らふ 代表理事 蓮尾久美と申します。
私自身が乳がん患者であり、患者会活動を始めたのをきっかけに、現在まで様々な患者サポートを行ってきました。
その詳細や活動の内容はコラムニスト紹介や、当法人のHP、ブログ、Facebookを見て頂ければ嬉しく思います。

さて、初めてコラムを書かせて頂くにあたって、何を書こうかと迷いましたが、まずは私の乳がん体験や多くの患者さんの声を聴いた経験を基に、伝えておきたいこと、知っていて頂きたいことを書かせて頂こうと思いますので、どうぞお付き合い頂ければ嬉しく思います。
 

がんかも…という時、どうしたらいいのでしょう?

さて、私が「乳がんです」と告知をされた時、私は42歳。今から12年前になります。

子供はまだ中学3年生と小学6年生でした。しかも主人は単身赴任中。
「まさか」「私が?」「なぜ?」「どこも痛くもないのに?」・・・いろんなことをいっぺんに考え、頭の中がぐるぐる回りました。長男の受験も控えていたし、実家の父も体調が悪く私が付き添い通院をしていた頃でした。

パートではありましたが、フルタイムで仕事をしていたので、長期で休むことにもなりました。
何よりも、実家は近くではありましたが主人が単身赴任中で、自分がしっかりしなくちゃいけない、死ぬわけにはいかないと必死だったように思います。

どうして見つけたか?

私の乳がんは、左乳房乳頭直下(乳首の真下)に2.5cmの大きさでした。

どうして見つけたか?というと、「自己検診」です。

乳がん検診を毎年受けていたのですが、1年半空いて「そうだ、検診に行ってないわ。自分で見てみよう」ってことで、お風呂で自己検診をしてみたのです。
石鹸をつけて、ぐりぐり自分の乳房を指で回しながら触っていたら…「ん?なにこれ?」という「しこり」を見つけました。何度触っても、左乳頭の下あたりにゴロッとしたモノが触れます。
右も同じように回しながら触ってみましたが、こちらは何もありません。

何度も、何度も、同じことをした記憶があります。

乳がんは唯一自分で見つけられるがん、触れることができるがんです。

「うそでしょ?」
「違うでしょ?」

そのしこりを自分で触りながら、自分の体から血の気が引くのがわかりました。
ただ、恐怖しかありませんでした。

検査をしてみたら…

翌日どうしても気になって、放っておくことも出来ず、乳がん検診をやっている産婦人科が知り合いだったので、状況を話しました。

「検査技師のいる時に早くきて」と言われ、確かその日は子供の学校が休みで、USJにママ友たちと出かける予定だったのですが、子供だけお願いして、私は病院に。

マンモグラフィ検査を受ける時、検査技師の女性が「何か心配なことがありますか?」と聞かれたので、
「ここにしこりがあるんです」と話したら、その方が触って「…ほんとですね。マンモグラフィを撮って、先生に診てもらいましょう」と言われました。

私は、その時すでに自分の中で「乳がん」だと確信していたように思います。

違うものだといいなと思っていたけれど、絶対違う、とは思えませんでした。
だからこそ、私はすぐ乳がん検診を受けようと思ったのだと思います。

※本当は、「自分でしこりを見つけた」「分泌物があった」など自覚症状があった時は、「検診」ではなく、「乳腺外科」のある病院へ「診察」に行くことをお勧めします。検診は「自覚症状がない人が受ける」ということですね。
ただし今は、大きな病院で受診する場合は、「紹介状」が必要になります。「がん診療連携拠点病院」といって専門的ながん医療を提供し、また地域と連携、相談支援などの制度も整った病院が全国にあります。「紹介状」がなければ医療費とは別に「選定療養費」と言って約5000円近くの請求がされますし、紹介状なしでは受診できないことがあります。
ですので、「乳腺外科」のある病院を受診される前に、近所のかかりつけ医で症状を伝えて、紹介状を書いてもらって、受診されることをお勧めします。

もしがんかも…。放っておくほうが怖い。

何かあったら怖いから検診を受けない、という方がよくいらっしゃいますが、

がんかも…と、と思いつつ放っておいても治りません。
放っておくほうがずっと怖いです。

現在の医療の進歩のおかげで、早期発見が出来て助かる命も多いし、また再発してもがんと共に生きる方も多くなりました。
それは、サバイバーとして生きている多くの患者が感じていることなのではないでしょうか。

適切な治療を受け、がんを体験したその後を元気に暮らす人が本当に多くなったなと思います。 

人の命はわからない

ただし、検診を受ければがんにならないわけではありません。
そこは理解しなければいけません。

医療に100%はありません。限界があります。

それは、これからのコラムで折につけ、触れたいと思います。乳がんになって12年、多くの患者さんのサポートを続けてきて、乳がんに限らず、人の命はわからない、という一言に尽きます。

私の乳がんは「トリプルネガティブ」と言われる少々やっかいな乳がんで、しかも術前の抗がん剤治療を受けたにもかかわらず、大きさが変わらなかった、あまり効果がなかったと言われたのですから。

そんな私が今元気に12年を生きています。

「人の命はわからない」というのはここにあります。

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この記事を書いたコラムニスト

蓮尾 久美 (ハスオ クミ)

一般社団法人らふ 代表理事

2005年42歳の時に、乳がんに罹患。トリプルネガティブという少しやっかいな乳がんで、術前の化学療法(抗がん剤治療)を受けるも効果が見られず、左乳房全摘出。病理結果を踏まえ、術後もさらに抗がん剤治療を受ける。当時まだ保険適用外であった「人工乳房」での再建を受け、現在まで無治療。2007年りんくう総合医療センターで乳がん患者会を設立(2015年まで)運営したが、もっと気軽に随時少人数で悩みを話せる場が必要ではないか?と2013年~泉佐野市で自宅マンションを「がん患者サポート&コミュニティサロン」として開放し、少人数で患者同士の茶話会、個別相談を実施。その後、2015年「必要な時に」「必要な人に」「必要な情報を」患者目線で届けたい、また、患者や家族だけでなく、医療や介護を提供する側の悩みや思いを語る場も設け、交流の場としても提供しようと、看護師、介護アドバイザーと共に一般社団法人らふを設立。医療の受け手である患者や家族、市民と、医療や介護を提供する側双方が「生きること」「死ぬこと」「老いること」を学び、語り、相互理解を深め、温かな地域を作ることが日本の社会保障制度を守ることにつながるのではないか?と考え、市民目線で、がんになっても介護が必要になっても、自分らしく幸せに暮らせる地域にしたいと自宅サロンを中心に様々な活動をしています。

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